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超私的::BLOG

超私的な日々のBLOG

05.05.23:55
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  • 05/05/23:55

10.16.19:42
昨日は平和だった

亀田家の問題で処分が下された。

まぁ、妥当な処分だったのではないでしょうか。

今日の朝のニュース番組の「とくダネ」のトップニュースがそれだったので、昨日は世界中で大したニュースが無かったと言うことなのだろう。

元来プロレス好きだった僕は亀田家のビックマウスはプロレスのエンターテイメントっぽくって嫌いでは無かった。

でも一連のオヤジや3兄弟の行動は対戦相手を蔑ましたりで何時しか嫌悪感を覚えるようになった。

そんなニュースがトップニュースなのだから、昨日は世間はきっと平和だったのだろう。

そしてボクシング界も平和が訪れる。
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07.29.23:44
自民党王国の崩壊

選挙、面白かったですね。

受かった人、無所属の割に民主党がべったりくっついてましたね。

結局民主党だけど、無所属じゃないと国民新党の推薦が受けれなかったからではないか?

そのうち民主党に所属するのではないだろうか?

05.23.08:53
最近の痛ましい事件

相変わらず、子供や学生による痛ましい事件が続いている。

正直、塾でバイトしていても、皆おとなしい生徒ばかりだ。(まぁそういう子じゃないと塾には来ないと思うが・・・)

しかし人を平気で殺したり傷つけたりする事件が多い。

塾でバイトすることになって、一番驚いたのが、学年や学校関係なく皆仲が良いことだった。

普通、学校が違えば喧嘩とか起こっても不思議じゃないと思った。

僕らの頃の塾はそうだった。

生徒に聞いても、今の中学生はつかみ合いの喧嘩など全く無いらしい。

皆おとなしい子供ばかりだ。

そういう子は、何かで一線を越えたら人を殺したりするのかな?と思った。

もっと言いたいことがはっきり言える子供になってほしい。

そうじゃないと、多分僕が刺されそうだ・・・

02.22.14:19
講師

連日、アホガキ 子供たち相手に悪戦苦闘しています。

それでも30代半ばとあって、結構威厳があるのか後光がさしているのか、怖い先生と言うレッテルを貼られてました。

でも、最近はやっと子供たちともウマが会うようになってきたのか、結構子供たちと立ち話する時間が長くなってきました。

基本的には、昔の自分と今の子供たちは変わらないですね。





私自身勉強は出来るほうでは無かったが、今問題と見ていると、なぜ解からなかったのかが解かった。

今見ている生徒も同じことが解からないのだろうと思って説明していくやり方が出来る。

これが高卒先生の最大の武器だと思った。

案外、元ヤンキー先生やツッパリ講師が出てきているが、多分同じ意見ではないのだろうか。

11.13.09:10
アルバイトの経営参加

最近、アルバイトにも経営に参加させようとする動きが良く見られる。

大手のフランチャイズの外食産業などに良く見られる。

アルバイトに肩書きを付けるやつだ。

最近、自分自身もアルバイトをしている身だが、やはりアルバイトの経営参加の動きがある。

正直なところ、昼は本業と副業に身を置いてる身であるからか、アルバイト先に対して熱くはなれない。

それに引き換え、アルバイト先の同僚、(特に大学生)は熱くなっている。

当然、給料が上がるわけでは無い。

むしろサービス残業が増えるだけだ。

30歳を超えるとどこか冷めた目で見てしまうところはある。

経営側としてはこんなに良い話は無いだろう。

この辺は見習わなくてはいけない。

但し、私が経営者側の立場に立ったら当然報酬は出したい。





私も頼まれれば断れないタイプの人間だから、臨機応変に動くだけだ。

07.27.13:41
・・・に決まっている

「・・・に決まっている」とか言う言葉って僕は好きでは無い。

と言うもの、





誰が決めたのか? お前が勝手に思っているだけだろ?





本当に聞く耳持たない、自分勝手な言葉に思う。

私の周りでも居ますね。




そう言う人間に限って、自分の考えに酔っているに決まっている

06.14.14:29
人はパンのみにて生きるにあらず

ちょうど今から6年ほど前に、約10年の京都での生活を終えて富山に帰ってきた。

以前の会社は、建設設備の工事会社だ。

いい会社だった・・・

総従業員は100人程度の中堅会社で、社風もおっとりしていて、給料は安くともみんな仲が良くやっていた。

しかし景気が底まで落ちて、とうとう悠長な事は言っていられなくなった。

そしてこの会社の社長がある日を境に変わってしまった。

○井○研と言うコンサルティングの会社が入ってきてからと言うもの、会社の雰囲気がガラッと変わった。

課長以上は年棒制となり、当時私が暮らしていた社員寮は売却。

その頃から流行っていた「早期退職者制度」が導入された。

もっともよく判らなかったのが、倒産したライバル会社の元専務が、工事部長として、工事部のトップに座ったことだった。

現社員、下請けも含めて、信用されていないのか?と誰もが思った。

当時役職も無い私であったが、そんな雰囲気の会社に居たくなくなって来た。

社員寮は売却が決まり、急遽会社からは特別に30万円の引越し代(敷金、礼金代)が支給されることになったが、3年以内に会社を辞めたときには全額返金と言う条件も面白くなかった。

当時はまだ京都に居座るつもりであったが、辞めても大した退職金も下りない。

でもその頃は、プライベートでも飲酒で捕まったりなど踏んだり蹴ったりでヤケにもなっていた。

人はパンのみにて生きるにあらず。

いやこのまま辞めてもパンの耳ぐらいは食えるだろう。

ええ~ぃ、辞めちまえ!!

こうして皆がため息ばかり付くようになった会社を離れることを決意した。